どこかパリュスさん自身のフランスでの生活が垣間見えるような気がします。 私にとって、身近なテーマはやはり「移民」でした。日本にいたときから、時事問題には興味がありました。それでも自分自身が移民になって初めて問題を認識できた気がします。 2017年、フランスで史上最年少の大統領が誕生した時、世界は華々しくそれを報じ歓迎していました。 しかし、それから1年半後、パリで「黄色いベスト」を着た民衆が、「マクロン辞任」を求めて大規模デモを起こしています。 いったい何があったのか. photo by Kristoffer Trolle [ CC BY 2.0 ], (注:こちらの文は、2015年1月28日に作成したものに、加筆・修正を加えたものです。), 2015年1月7日、パリで、イスラム過激派とみられるグループが週刊新聞「シャルリーエブド」を襲撃しました。自由を旗印とするフランスでは、言論・表現の自由を侵害するものとして、激しい抗議行動が起こりました。, 即座に、「イスラム教」と「言論・表現の自由」という問題が表面化しました。ここは巨大宗教イスラム教の根源に触れる部分なので、世界を巻き込んで尾を引く可能性があります。, しかし、もう一つ、ヨーロッパ内の「移民問題」が大きく取り上げられています。冷静に考えれば、一つのグループの犯罪なので、他の移民やイスラム教徒に飛び火するのは、おかしいのです。, しかし、この問題が一斉に広がるのは、西欧の歴史の中で、「移民」「人権」「治安」「経済」という4つのテーマが、何度も何度も複雑に絡み合ってきたからです。, フランスと移民の歴史は非常に長いものがあります。19世紀からこの国は人口の停滞に悩み始めました。労働力確保と人権擁護(庇護)の立場から、ヨーロッパ内部を中心に、多くの移民を受け入れてきました。, また、第一次世界大戦を、外国人の力を借りて戦ったという歴史があります。兵士としてはもちろん、農場や工場で多くの外国人がフランスを支えてきました。, フランス人とヨーロッパ系移民との関係は、必ずしも良好なものとは言えませんでした。「労働力の確保」と「移民の監視・管理」を両立することは難しく、景気や治安が悪化するたびに、フランス人の「外国人嫌い」が顔を出すデモや事件が発生してきました。, その一方で、ショパンやキュリー夫人など偉大な功績を残す外国人が、フランスに渡ってきたのもこの時代です。現在フランス文明と呼ばれているものと、移民・外国人との間には、切っても切れない関係があるのです。, フランスで「繁栄の30年」と呼ばれる時代です。第二次世界大戦後、フランスは経済が成長していくにつれて、さらなる移民受け入れを国家の方針として掲げます。この間に、非ヨーロッパ系移民が増えていくことになりました。出身はアルジェリアやモロッコなど、北アフリカ、マグレブ諸国が中心でした。, 「ヨーロッパ系移民」の二世たちが、少しずつフランスという国に溶け込んでいく中で、「非ヨーロッパ系移民」との 間に新たな「移民問題」が生まれ始めます。フランスは現在、西欧諸国の中で、イスラム教徒の人口比率が最も高い国だといわれていますが、まずその土台が、この時代に出来たのではないかと思われます。, 1973年のオイルショックを契機として、経済が急速に悪化していきます。失業率が上がり始め、移民労働者は供給過剰の状態に入ります。, どれも大きな決定ですが、③は重要です。家族の呼び寄せを認めたことで、北アフリカから女性の流入が増大します。多くの二世・三世がフランス国内で生まれる土壌が出来上がります。, 都市郊外に、社会生活が困難な移民が集まって暮らすようになり、これが「郊外問題」として知られるようになります。警察とのトラブルも発生するようになり、「移民問題」は経済から治安の問題へと拡散していきます。, フランスでは従来、景気が悪化し失業率が上昇すると、移民を制限して対処する、というのが一般的でした。治安が悪化すれば、移民の監視を強化するという歴史も繰り返されてきました。しかし、それらを越えて、フランス人がフランスのアイデンティティを維持するため、「移民を排斥すべし」と考えるFN(国民戦線)のような右翼政党も力をつけ始めます。, 一方、こういった動きに、真っ向から反対するのもフランス人です。労働者の権利や人権への認識が高まるにつれて、「フランス社会の一員」として移民や貧困層の権利を擁護する考えが、社会運動を伴って活発化します。, こうして、移民に対するフランス世論が、左派政党と右派政党に分かれて対立することが繰り返されることになりました。, 現在、移民・外国人の権利が随分認められるようになったと言われます。しかし、右派、左派双方の闘いには、移民問題が今も大きな焦点として登場しています。, 誤解があってはいけませんが、ほとんどのイスラム教徒は、テロや過激派とは無縁の存在です。ただ、生活スタイルに、強い信念・特徴があることと、先述した「郊外問題」の中心に位置していることがポイントです。, 先ほどの歴史で書きました通り、1974年の政策変換において、「滞在が許可されている移民労働者による家族の呼び寄せは認める」という決定が大きかったと思われます。, 北アフリカからイスラム教徒の多くの女性が、フランスに移住しました。そこで、『出生率』に差が出たのです。もともと居るフランス人女性より、イスラム教徒の女性の方が、大勢子供を産むのです。このためイスラム教徒の人口比率が上がっていくこととなりました。, 現在、左派も右派も、基本的には新規の移民受け入れを停止し、不法入国者の取り締まりを行うことでは考えが一致しているようです。しかし、既に移住している人を追い出すことはもちろん出来ません。, これからのことを考えますと、フランス国内のイスラム教徒の比率は、2010年で7.5%であったものが、2030年には、10.3%まで増えると予測されています。(Drehle, 2015), サッカー界で有名なジダン(ジダヌ)選手は、アルジェリア系移民の二世です。マルセイユの貧困層が広がるエリアの出身だということですが、フランスの英雄であり、アルジェリアの英雄でもあります。ルーツが混在するサッカー代表チームの活躍は、フランス、旧植民地、双方にとって一つの理想とされたのです。, しかし、成功した二世、三世が少ないことも事実です。失業、就業、健康格差、差別、学校内の対立など、まだまだ「移民問題」がなくなる様子は見えません。, 一方、既存移民とその子孫を、自国の言語、社会、文化へ「統合」していくという考え方は、西欧諸国では一般的です。ただ、その度合いやスピードについて、様々な考えが混在しています。, 今回の新聞社襲撃事件のあと、イギリスやドイツの政治家が、即座に動いたのは印象的でした。, 自国内の火薬に火がつくのを恐れているのと同時に、もしフランスで移民排斥運動が激化すれば、移民、特に不法滞在者が自国に流れてくるのが、目に見えているのです。このあたりは歴史が証明しており、移民問題が外交問題に発展しないよう警戒したものだと考えられます。, 日本では既に、百万人近い外国人労働者が働いているそうです。少ないとは言えません。一方、「(若い低賃金労働者が欲しい。でもいずれ自国に帰って欲しい。これ以上高齢者を支えたくない)」という本音が漏れ出ています。, 口には出せないと思いますが、恥ずかしいことではありません。フランスも100年に渡って本音に沿えるよう政策を練ってきたのです。しかし、時が流れ、景気が悪化した時、「補助金付き帰国奨励策」を打ち出しても、結果は出ませんでした。むしろ大規模な人権運動に転化することになったのです。, 文化の違いがクローズアップされますが、一番の問題はそこではないようです。移民は確かに外国文化を持っていますが、人間です。つまり、ほとんどの移民が、受け入れ国の文化に「合わせて」暮らせるのです。ここの部分は、受け入れ国民側が強い姿勢で臨まないと、「郊外問題」が拡大することを、ヨーロッパ人は学びました。, 一般に移民が耐えられないのは、「文化」ではなく「差別」の方です。例えば、公立の団地、託児所、高齢者介護施設などは、貧しい人から優先です。どんなに競争が厳しくても人種で差をもうけては火種となります。, 日本がこれからも外国人労働者を受け入れていけば、様々な悩みと直面することと思いますが、基本的に後戻りは出来ないものです。差別を繰り返せば外国人の不満が爆発するし、さりとて日本人の外国人労働者に対する不満を蓄積させれば、外国人排斥を掲げる政治家に選挙で票が集まることになります。, 最悪のシナリオは、外国人排斥を掲げる政党が力を持ち、法的に日本が外国人排斥を行うことです。当然、海外にいる日本人や日本の営業所・工場などに排斥の動きが広がります。, ヨーロッパの経験から言えば、自国の言語、社会、文化へ「統合」していくという考え方が重要なのですが、果たして日本はそこを強く推し進められるのでしょうか・・・, Twitter Facebook RSS はてなブックマーク 政治・経済両面から、世界情勢や国際問題の分析を行います。国際ニュースを絡めながら、出来るだけ読み易いサイトになるよう心掛けます。どなた様かのお役に立てば幸いです。. 「榊本の国際政治経済ブログ」をお読み頂きありがとうございました。一つ一つ返信は出来ませんが、こちらのページに関するコメントを頂ければ幸いです。なお、当ブログや榊本本人に対するご連絡は、一番下の「お問い合わせ」からお願い致します。, チベット弾圧の背後にあるものは何か? 中国との歴史と、インド、米国、日本の動きを概観する. メールマガジン「オルタ広場」編集部 千代田区九段北2-3-2 TEL:03-6261-4857 FAX:03-6261-4863 mail:alter@alter-magazine.jp, powered by Quick Homepage Maker 7.0.2based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. =================================================, オルタ」の執筆者が最近、単行本として上梓された著訳書を紹介します。厳しい事情にある出版界で、1冊の本を出すことは大変なエネルギーのいることなので、皆さまのお力で広めて戴きたいと思います。 ================================== HAIK. 田村毅/塩川徹也/西本晃二/鈴木雅生 [編].フランス文化事典,丸善出版, 2012年. 一例を挙げて見よう。その昔、私たちは、ジュネーブ郊外のフランスの小さな村に住んでいたが、そこには相当数のポルトガル、スペイン、モロッコから移民労働者がいた。ほとんどが、建設関係で働く人だった。その後友達になったアルフォンソは、スペインでも貧しい地方(ガリシア)出身で、石工であった。彼のいとこがまず近くの町で職を得、その後、いとこの伝でフランスに来た。建設現場の親方に頼み、労働許可を移民局に申請してもらい、フランスに定住する。アルフォンソの例は、観光ビザで来仏、実際に働きながら、労働許可を得るという典型的なケースとなる。 フランスに住んでいるアフリカ系移民はコートジボワール、セネガル、マリ、コンゴなど植民地支配を受けていた国からの移民が多い。 また、ハイチからのアフリカ系移民も多く、ほとんどがパリ18区で生 … 【移民の成功学・失敗学】フランス編 Vol.2フランス的平等から見る移民政策の歩み(後編) 2018.12.01 【移民の成功学・失敗学】フランス編 Vol.2 フランス的な平等主義から見る移民政策の歩み( … ============, ============ フランス革命から始まり、10月革命、2月革命、パリ-コミューン。戦後になっても5月革命、昨年の移民系青年暴動、そして今回。フランス政治と民衆とのかかわりを考えます。 1ページ目 【フランス政治の特徴はどこからきているのか】 =================================================, 韓国と日本の建国神話 ——太陽の神と空の神 延恩株 (著) EU圏の真ん中に位置し、その人口の約2割がイミグレとイミグレ2世、3世となると、フランスには入国規制強化といった単純な選択肢はありえない。また、現在でこそ移民の負の側面が強調されるが、移民がフランスの文化・経済に貢献したものも大きい。19世紀から20世紀にかけてフランスに逃れてきたユダヤ人、20世紀はじめに、オスマン・トルコの侵略から逃れてきたアルメニア人、ロシア革命の際にフランスに来たロシア人、スペインの内乱を逃れてフランスに定着したスペイン人たちは、その2世、3世の時代になると、政治・経済・科学・芸術などの多く分野で足跡を残している。 中米からアメリカを目指す約4000人規模の移民集団(キャラバン)の一団は、着実に北上している。だが、いくつかのグループに細分化され、アメリカまではまだ数百マイルの道のりが残っている。彼らがいつ、どこから、どうアメリカの国境に到着するのかは ============ インド系移民も多い。 フランスにインド人?と意外に思うかもしれないけど、かなり流入しているとみた。実際、私がフランスに入国して来た時、私の前のインド人が、入国審査に引っかかっていた。「いや、僕はこれからドイツに行く予定なんですよ! フランス国立統計経済研究所(insee)は、530万人の外国生まれの移民と650万人の移民2世がフランスに居住していて、全人口の19%に当たると推定している。 この1180万人のうち、およそ500万人がアフリカ系移民であった 。. ケース4. ECB(European Central Bank、ヨーロッパ中央銀行、欧州中央銀行)を取り上げます。 ECBとは、ユーロ圏の金融政策を一元的に管理する中央銀行です。 中央銀行といえば、日本の日銀(日本銀行)や、イギリスのBOE(イング. 西欧の歴史の中で、「移民」「人権」「治安」「経済」という4つのテーマが、何度も何度も複雑に絡み合ってきたから, フランスでは従来、景気が悪化し失業率が上昇すると、移民を制限して対処する、というのが一般的でした。治安が悪化すれば、移民の監視を強化するという歴史も繰り返されてきました。しかし、それらを越えて、フランス人がフランスのアイデンティティを維持するため、「移民を排斥すべし」と考えるFN(国民戦線)のような右翼政党も力をつけ始めます, 「フランス社会の一員」として移民や貧困層の権利を擁護する考えが、社会運動を伴って活発化, 北アフリカからイスラム教徒の多くの女性が、フランスに移住しました。そこで、『出生率』に差が出たのです。もともと居るフランス人女性より、イスラム教徒の女性の方が、大勢子供を産むのです。このためイスラム教徒の人口比率が上がっていくことと, 既存移民とその子孫を、自国の言語、社会、文化へ「統合」していくという考え方は、西欧諸国では一般的, もしフランスで移民排斥運動が激化すれば、移民、特に不法滞在者が自国に流れてくるのが、目に見えている, (若い低賃金労働者が欲しい。でもいずれ自国に帰って欲しい。これ以上高齢者を支えたくない), 時が流れ、景気が悪化した時、「補助金付き帰国奨励策」を打ち出しても、結果は出ませんでした。むしろ大規模な人権運動に, 差別を繰り返せば外国人の不満が爆発するし、さりとて日本人の外国人労働者に対する不満を蓄積させれば、外国人排斥を掲げる政治家に選挙で票が集まる, 外国人排斥を掲げる政党が力を持ち、法的に日本が外国人排斥を行うことです。当然、海外にいる日本人や日本の営業所・工場などに排斥の動きが広がり, ヨーロッパの経験から言えば、自国の言語、社会、文化へ「統合」していくという考え方が重要, (財)自治体国際化協会 パリ事務所.フランスの移民政策-移民の出入国管理行政から社会統合政策まで- Clair Report No. 大江紀洋編集長 移民・難民 米の国際政治学者、サミュエル・p・ハンティントンの「文明の衝突」論から約20年。パリの仏風刺週刊紙襲撃事件を発端に反イスラム、移民排斥運動が拡大するヨーロッパ。いま起きているのは「原理主義」の衝突ではないだろうか。 移民の流れ. フランスの移民・難民問題は、一度この欄で取り上げたいと思っていたのだが、多様な側面を持つ深刻な問題なので、これまで躊躇していた。最近ILO協議会から、フランスの移民問題というテーマで、小論を書く機会があった(世界の労働20号)。 「外国で生まれ、出生時にフランス国籍を持っていなかった人」――これが、フランスにおける移民の定義である(国立統計経済研究所)。つまり、出生地と国籍の届出によって、移民か否かが決まるということになる。1999年の国勢調査によれば、フランス本国に居住する移民は431万人。これは、人口の7.4%にあたる。このうち156万人がフランス国籍を取得している。残りの275万人は国籍を取得しておらず、これにフランスで生まれた外国人51万人を加えると、フランス本国に居住する「外国人」は32… Copyright © 2018 榊本の国際政治経済ブログ All Rights Reserved. フランスは多くの国と国境を持ち、あらゆるところから人が入ってくる。観光ビサで入国するのが一般的ながら、難民の申請あるいは密入国と多様な経路がある。いったん、フランスの中に入ってしまえば、身分証明書が要求される機会はほとんどない。人手不足が厳しかった高度成長期には、零細企業や飲食業などでは、労働ビザがなくても、目をつぶって外国人を雇うことも多かったと思われる。 フランスの移民問題とキリスト教2017年4~5月のフランス大統領選挙は、世界的な関心を集めた。前年6月イギリスが国民投票でEUを離脱を決めたので、フランスはどうなるかが注目されたのである。英国のEU離脱を「ブレグジット(Brexit)」という。 白水社刊 イミグレの出身国をみると、アルジェリア(73万人)、モロッコ(67万人)、ポルトガル(59万人)、イタリア(30万人)、トルコ(24万人)などが多い。近年、西アフリカのマリやコンゴなどからの移民が増加しているが、西アフリカ諸国からのイミグレは合計で72万人までになっている。EU内では、原則的に、居住・労働移動の自由が認められているが、域内からのイミグレは全体の3分の1でしかない。, EUの統計で、各国の総人口に占める外国人の比率を見ると、フランスは、400万人で6.2%であるのに対し、ドイツ(770万人、9.4%)やイギリス(490万人、7.7%)の方が高い水準となる(2013年)。ここで注意しなければならないことは、フランスのイミグレの4割はフランス国籍を取得している事実である(ドイツは、最近まで、外国人の国籍取得を厳しく制限していたので、外国人の比率は高くなる)。, フランスのイミグレの範囲を移民の2世(フランス生まれ)に拡げると、異なるフランスが見えてくる。近年フランスに定着した移民の出生率が高かったので、移民2世の人口は670万に上り、総人口の11%を占める。同様なEU統計はないので、活動人口(25歳-54歳)に関するフランス統計局の推計で他の国と比較すると、少なくとも両親の一人が外国で生まれた労働者は、フランスが13.5%であるのに対し、ドイツ(17.6%)、イギリス(15.6%)とフランスの方が低いが、移民2世を加えると、話は異なる。労働力人口に占める移民と移民2世は、フランス26.6%、ドイツ21.9%、イギリス24.4%となり、フランスの2世人口の多さが目立っている(資料出所:INSEE, Immigrés et descendants d' immigrés, 2012)。, このようにフランスで移民2世が多いのは、フランスの移民の歴史と関係する。高度成長期の1960年代になると、フランスの隣国であるイタリア、スペインからの移民が減り、その代わりにマグレブ諸国からの流入が増加する。第一次石油ショック後の1974年からは、原則的に新規の労働ビザの発給を停止するが、その後は、家族の呼び寄せというビザで女性や子供の流入が増える。はじめは出稼ぎ型の労働力として来たマグレブ諸国からの外国人労働者はフランスに定着し、その多くはフランス国籍を取得する。その子供たちが、現在労働市場参入している。 フランスに入国すると、長期滞在の場合はしばらくしてから移民局に行かなければなりません。私も行きましたが、そこでフランス語が話せるかどうかが試されます。能力がないと、強制的にフランス語学校に通う必要がある。 =================================================, ■韓国──近景・遠景 延 恩株 (著) 人口統計. さらに深刻なのはフランスに定着している移民とその家族の社会的統合である。本年初めのシャルリ・エブドのテロ事件で明らかになったように、移民2世、3世の一部は、フランス社会に反発し、イスラム過激派として、いくつものテロ事件を起こしている。イスラム系移民のごく一部とはいえ、フランスの中には、イスラム系コミュニティに反発する人は多く、極右政党のFNがその受け皿になっている。移民とその家族は、大都市の周辺部に集住する傾向があるので、貧困や格差の問題、治安あるいは教育問題と結びつく。ある意味、フランスが現在直面している社会問題 ― 平等待遇、失業、学校からの落ちこぼれ、社会的保護、治安など ― は、イミグレ(移民とその家族)問題と複雑に絡み合っている。, ところで、日本の外国人労働者問題の議論では、フランスは外国人労働者を受け入れに失敗した例として示され、日本はフランスのような轍を踏むことを避け、外国人労働者や難民を受け入れるべきではないと展開されることが多い(政治的な表現を使えば、外国人受け入れを慎重に検討すべきとされるが、慎重な検討は50年以上続いている)。日本からみると、フランスは遠いので、どうしても日本の視点でフランスの例を解釈する傾向がある。島国で、ほとんど移民や難民を受け入れた経験のない日本と19世紀以来多くの移民・難民を受け入れてきたフランスでは、置かれた文脈がまったく違っている。 2018年、平昌オリンピックが華やかに開催されました。 多くの選手が、胸を熱くする活躍をしていましたが、一方で、政治、経済面から「オリンピックの影」とでも言うべき点が垣間見えていました。 南北融和アピール、大会委員長の辞任、ボラ. 滞在可能期間: 3か月 フランス入国2か月以内に管轄の移民局にて滞在許可証を申請. フランスと移民の歴史は非常に長いものがあります。19世紀からこの国は人口の停滞に悩み始めました。労働力確保と人権擁護(庇護)の立場から、ヨーロッパ内部を中心に、多くの移民を受け入れてきました。 また、第一次世界大戦を、外国人の力を借りて戦ったという歴史があります。兵士としては … 多くの移民がイスラム国から逃れるためと主張するけど、カレー市に辿り着くまでには数カ国を通過してるわけだ。 本当に助けが必要ならカレー市に来ることなく、どこかの国で既に難民申請をしていると … 2018年、アフリカのコンゴ民主共和国で、再びエボラ出血熱の流行が拡大しています。2018年7月から12月の間に300以上が死亡したと、同国保健省が発表しています。 世界保健機関(WHO)は、過去に何度も緊急事態の終了宣言を出している. 雇用主や代理人に移民局からの許可が降りている場合. 申請に必要なもの: 長期ビザ申請書、原本; 2.証明写真1枚(35㎜×45㎜) パスポート原本、コピー オルタ出版企画 しかしフランス国民と移民の統合は進まず、2015年の移民による「パリ同時多発テロ」は記憶に新しいかと思います。 僕のパリを訪れた経験から言うと、街中の浮浪者やメトロのスリなどは 圧倒的に移民が多い です。 ============, Copyright © 2021 メールマガジン「オルタ広場i」編集室 All Rights Reserved. だからクリバリ本人はセネガル代表というのはごく自然な選択だったと言っていました。今フランス社会において移民としてどこまでルーツを大事にしている人がいるのでしょうか? 「自身のルーツからくるアイデンティティを保つ人は増えています。 1960年代から70年代にかけて、北アフリカ諸国(マグリブ)からの移民はフランス主要都市郊外の貧困地域に居住していた。 移民の家族らがフランスへ移り住むに伴い低所得層の住宅が建設され移民の人口は増加していった。 一応みんなフランス生まれフランス育ちや 54 :2020/10/02(金) 17:58:15.04 ID:xbVytNoa0.net プラティニでさえイタリアからの移民だってこと意外と知られてないよな ============ フランスは第二次大戦後、ドイツと同様に高度経済成長期の国内の労働力不足を背景に多くの移民を受け入れてきた歴史があります。特に、フランスの植民地から独立したアルジェリアやモロッコなどアフリカ諸国から多くの移民が流入してきました。 統計局が8月末に公表した移民関連統計によれば、2012年通年の移民の純流入数(流入数から流出数を差し引いたもの)は17万6000人で、前年の21万5000人から大きく減少した(注1)。近年の移民制度の厳格化を背景に、EU域外からの就労や就学目的、また家族の帯同・呼び寄せによる流入数が減少していることが主な要因だ。一方、EU域内からの就労目的による流入は増加している。2004年にEUに加盟した旧東欧諸国からの移民労働者が主流である傾向は変わらないものの、不況以降はこうした加盟国か … だが、身近なだけにそのルーツやどこからヨーロッパに入ってきたのかということについては意外と知られていない。 ケバブはまた、中近東からの移民の存在とは切っても切れない食べ物で、近年フランスでは移民排斥派の攻撃対象にもなってきた。 ナイジェリア連邦共和国は、西アフリカに位置する大国です。面積、人口、GDP、どれを取っても、アフリカの大国であることは間違いありません。 ただ、同時に、世界の紛争の縮図のような様相を持ち合わせています。イスラム過激派武装集団「ボコ・ハ. この自由の女神像は、フランスとアメリカ合衆国が共同で作りました。 独立戦争のさなかにフランスと友好関係を築いていた記念に、フランスからアメリカに寄贈されたものです。 すでに「移民国家・日本」、どこへ向かうのか 『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』望月優大氏インタビュー 本多カツヒロ (ライター) シドニーへ移民する人はどこから来るの? 国籍ランキング This entry was posted in オーストラリア人との話のネタ帳 英語圏の人とのネタ帳 and tagged オーストラリアの食文化 on 2015年1月16日 … カナダでは英語とフランス語が話されているということをご存知の方は多いと思いますが、どこでフランス語が使われているか、またその理由についてはいかがでしょう。 今回ご紹介するケベック旧市街の歴史地区には、そのルーツとなった歴史が色濃く残… フランス. なお、国籍取得に関しては、1980年代にミッテラン大統領の下、国籍法が大きく改正され、それまでの血縁による国籍取得に加えて、フランスで生まれ、教育を受けたものは、成年時に自動的にフランス国籍を得ることとなった。したがって、移民2世はフランス人である。, このように、イミグレとその子供たちは、人口の約2割を占めるが、その地理的な集中度は激しい。移民1世の場合には、実にその4割がパリ地域に集中する(一般フランス人は15%がパリ地域に住む)。フランスに移住する理由が何であれ、移民1世の場合、言葉の障害や社会的ネットワークの不足から、同じ出身地の人が集住する傾向がある。移民2世の世代となると、パリ地域への集中度は25%に減る。イミグレの集住傾向は深刻な社会問題を引き起こす。イミグレの所得は低いので、家賃が安い低所得者住宅に住む確率が高い。その様な住宅が密集するところ、たとえばパリの北のセーヌ・サンドニ県は、社会的指標が最悪なことで知られる。建築基準に合致しない多くの住宅、交通や医療などの公共サービスの貧弱さ、レベルの低い教育機関、高い失業率と治安の悪化などがこのような地域に集中する。, 以上が現在のフランスのイミグレとその家族の概況だが、何と言っても、いわゆるイミグレ人口の大きさにはびっくりする。パリ地域は、最近では、アメリカ以上に様々な人種のるつぼになっている。, ◆ 2.「フランスは、高度成長期に積極的に移民の受け入れ政策を行ったこことが、現在のイミグレ問題を発生させた」, フランスにおいては、第二次世界大戦後、移民局が設置され、一括的に外国人労働力の入国、雇用管理、衛生状態をチェックする権限が与えられる。外国人の労働ビザは、この移民局に申請し、受理されることが必要となる。労働力不足の激しい1960年代初めには、移民局はいくつもの国と労働力提供に関する協定を結んでいる。しかし、移民局の業務の実態は、計画的な労働力導入ではなく、むしろ放漫な事後処理が多かったのではないかと考えている。 フランスから友好の証として贈られた自由の女神像. David Von Drehle.The European Front.Time, January 26, 2015. 落穂拾記―新聞記者の後始末 (オルタ叢書) 単行本 –羽原 清雅 (著), アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界 (講談社現代新書) 新書 –進藤 榮一 (著), いま言わずして 二人誌「埴輪」単行本(ソフトカバー) –宇治 敏彦 (著), 小榑 雅章 (著), 花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部 (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 花森安治・大橋鎭子との日々), 薬師寺の向こう側―南船北馬の王権興亡 (幻想史学「向こう側シリーズ」)–室伏志畔 (著), 最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(上) 沈 志華 (著), 朱 建栄 (翻訳), 中国と南沙諸島紛争 問題の起源、経緯と「仲裁裁定」後の展望 –呉 士存 (著), 朱 建栄 (編集), ジェニファー・コックラル=キング 著, 白井 和宏 訳 近年の欧米諸国における移民人口の拡大については図録1171でふれたが、ここでは、移民人口の出身地別の人数、また近年いずれの国からの移民が増加したかについての図録を作成した。 グラフには2時点の上位15カ国別の出身地別人口とそのうち新しい年の出身地別の女性人口比率を掲げた。 1 フランスの歴史における移民と国民 以下の文章は、イヴ・レキンの有名な『フランスのモザイク (Frenchmosaic)』に依拠し たものであり、フランスが近代国家となるまでの複雑なエスニック的起源を明らかにして いる。 ===========================, 独りじゃダメなの―中国女性26人の言い分 19世紀には、マリー・キュリー夫人、ショパン、富豪のロスチャイルドが有名だが、最近では、サルコジ前大統領、歌手のアズナブール、イヴ・モンタンなどは、いわゆるイミグレやイミグレの2世である。近世のフランスの文化は「外国人」の貢献によって豊かになったことを忘れてはならないだろう。フランス革命の父といえるジャン=ジャック・ ルソーがスイス人であったことは象徴的である。フランス革命は、法の前には、すべての市民は平等であることを基本理念としている。この市民の中には、外国人やフランスに帰化した人も含まれる。19世紀にナショナリズムが発達する前に、フランス革命は、市民権の普遍性を宣言し、その流れは現在まで続いている。, この稿では、まず、フランスのイミグレ問題の現状を大まかに紹介し、その後、日仏の文脈の違いをいくつかのポイントに絞って、考えてみる。, フランスの公式統計では、イミグレは外国で生まれ、現在はフランスに住む人と定義される(フランス人として外国で生まれたものは除かれる)。つまり、出生地が基準となる。これにフランスで外国国籍に生まれたものが加算される。したがって、フランスに移住し、その後、フランス国籍をとった人もイミグレとなる。このように定義されたイミグレは、2012年に550万人で、総人口の8.5%を占める。1999年と比較すると、イミグレは約120万人ほど増えたことになる。人口が日本の半分のフランスで、550万という数字は印象的である。なお、このうち約200万人は、現在、フランス国籍を取得している。 自動車や石炭といった産業になると、大量の非熟練労働者を求めて、企業はモロッコやアルジェリアに連絡事務所を構えていたようだ。つまり、政府が計画的に毎年の移民労働者の数量枠を決めたのではなく、個別の企業や個々の労働者の申請を移民局が書類処理していたと思われる。 隣国フランスでも多くの移民・難民を迎えていますが、今回のドイツの受け入れ数は比較にならないほど多いそう。 こうしたドイツによる寛容な人道支援の背景には、2017年に在任13年目を迎えるメルケル首相の強い意思があったといいます。 363(July 14, 2011)(:pdf ファイル), 独立行政法人 労働政策研究・研修機構.外国人労働者受入政策(フランス:2004年11月)/フォーカス/労働政策研究・研修機構(JILPT). 時代は下るが、2年前に、私が滞在許可の手続きで、移民と統合局(昔の移民局)に呼び出されたとき、新規滞在ビザ取得者にオリエンテーションがあった。30人くらいの人(マグレブ系、アフリカ、中東出身者が主)がいたが、話を聞くと滞在歴5-6年が多かった。言い換えれば、彼らは何等かの形で労働許可なしで働いていたものと思われる。, このようなフランスとは異なり、となりのスイスやドイツの入国管理は系統的である。給与水準の高いスイスは入国審査、労働許可の審査が厳しいことでも知られている。各州および連邦レベルで毎年の労働許可枠が決まり、それに沿って個別審査がなされる。当該の職務にスイス人では応募がないことがその大前提となる。従って、特殊な能力を要求されるような職種にしか労働許可は与えられない。また、出身国も審査の対象になっていると思われる(アフリカやアジア出身者には、原則的に労働ビザは出ない)。1960年代のドイツは、トルコに労働省の出先事務所を開き、毎年大量の労働者をドイツに送り込んだ。「ゲストワーカー」として、2-3年の短期出稼ぎ型労働者を優先した。ドイツの場合、労働力不足が激しい産業の使用者団体が、実際の労働者選抜を行っていたようだ。, また、フランスの場合、このような労働力確保以外にも、様々な政治的配慮が移民や難民の受け入れに影響した。1960年代に、アルジェリアからの移民が急増するが、これはアルジェリアの独立戦争とかかわっている。1960年代後半から1970年代にかけてヴェトナムからの難民を多く受け入れたが、これはヴェトナム難民に手を差し伸べた結果であった。フランスは、伝統的に政治的混乱を避ける難民を受け入れてきたし、また、多くの人がそのような人道主義の政策を支持していた。このように、フランスの移民政策は、そのときどきの経済状況、政治、国際情勢により変化したので、フランスが系統的な移民政策を持っていたとはとても思えない。, ◆ 3.「フランスは、1974年以降、新規労働ビザの発行を停止しているにもかかわらず、イミグレ人口が増えるのはなぜか?」, フランスが外国人の滞在(観光目的を除く)を受け入れる理由はいくつかに分類される。家族の呼び寄せ、学生、経済的理由、人道的理由、その他となる。2010年における新規滞在許可(合計で約19万件)の内訳をみると、その45%は家族の呼び寄せで、その後、学生31%とと続く。経済的理由および人道的理由は、それぞれ9%(経済的理由:1.8万人)であった。1970年代初めまで主流であった経済的な理由による入国は、当時毎年12万人を超えていたので、近年は経済的理由による入国が激減していることが分かる。この経済的な理由の中には、多国籍企業内で人事異動などが含まれるので、昔風の移民労働者の比率はさらに低くなる。では、なぜ家族の呼び寄せが少しも減らないのだろうか?, 家族の呼び寄せは、フランスの法律あるいはEU指令で保障されている権利である。家族の一人がフランスで働いているとき、その配偶者および18歳未満の子供はフランスに来る権利が保障されている。1977年に、当時の政府は、家族の呼び寄せの際の入国許可の条件として、雇用目的でないことを確約させる法律を用意した。法の番人である国務院は、この法案をイミグレの家族が普通の生活を享受することを妨げるとして違憲とした。フランス革命以来の伝統として、法の前に、市民はその出身階層、宗教、人種などで差別されることなく、平等の権利を有する。フランスが、外国出身者にも寛容なのはこの伝統からくる。現首相のマヌエル・ヴァルスは、スペイン生まれで、20歳になったときにフランス国籍を取得したが、彼の過去を問題視することはない。この点、アメリカとは大きく異なる。ところで、日本では、いつになったら、外国生まれの日本国籍取得者が政治の分野で活躍できるようになるのだろうか?, 数年前に、イスラム系の女子学生が顔を隠すスカーフ(ブルカ)を着用し、登校したところ、校長がスカーフをはずすことを要求し、裁判沙汰になり、大きな社会問題になったことがあった。裁判結果は、公的な場である学校では、宗教色の強い外観を示してはならないとし、学校側の措置を支持した。この事件は、増加し続けるイスラム・コミュニティの習慣とフランスの社会の伝統が衝突した象徴的な事件として知られている。その後も、類似の事件は何回となく起こっている。なお、フランスでは、教育はほとんどすべて公立学校で、教師は公務員である。20世紀のはじめに、政教分離(laicité)が共和国の原理になって以降、学校は共和国の公の場となった。, 現在、フランスのイスラム系の人口は500万人前後と見積もられ、総人口の1割弱を占める。マグレブ諸国からのイミグレに加えて、西アフリカ、トルコ、中東出身者がイスラム系人口を構成する。もっとも、毎日お祈りするような敬虔なイスラム教徒は200万人くらいと見積もられている。戒律を守る家族とその組織が、前述のスカーフ事件を引き起こした訳である。, 多文化を認めるイギリスなどでは考え難い事件でもある。国連などの組織では、施設の一部にイスラム教徒用のお祈りの場を確保することは常識となっている。しかし、フランスは、頑固なまでに、政教分離を守り、公式の場に宗教色を持ち込むことを許さない。その基底には、市民権という普遍的な理念がある。あらゆるフランスの市民は、出身階層、信教などによる差別はなく、平等に扱われる権利を持つとする。イスラム教徒を優遇すれば、カソリック、プロテスタント、ユダヤ教の信者は不利益な待遇におちいる可能性があることになる(もっとも、宗教色が薄い現在のフランスでは、それほど大きな問題になるとも思えない)。市民の平等待遇の原則は、イミグレの待遇の時には有利に働くが、それと宗教的な戒律と抵触するときには、融通の利かないものとなる。ただ、イスラム系の人口がさらに増え、学校や職場で、自分たちの戒律を主張すれば、フランスの保守層の反発が強まる可能性が強い。イスラム過激派の問題とも絡むので、大きくなったイスラム・コミュニティがどうフランス社会と共生できるかは今日のフランスの重要な課題となっている。 (2015年8月16日、パリ郊外にて), 最新号トップ/掲載号トップ /直前のページへ戻る/ページのトップ/バックナンバー/ 執筆者一覧, 「北朝鮮・核・ミサイル・憲法」を考える